清水坂
江戸時代にはこのあたりに霊山寺があったが、明暦の大火後、浅草へ移転した。
この霊山寺の敷地は、妻恋坂から神田明神の間の広大なものであった。
「江戸切絵図」を見ると、その敷地跡のうち、西の方に島田弾正という旗本屋敷がある。
明治になってその敷地は清水精機会社の所有になった。
大正時代に入って、湯島神社とお茶の水の間の交通が不便であったので、
清水精機会社は土地を町に提供し、坂道を整備した。そこで町の人たちは、
清水家の徳をたたえて「清水坂」と名づけ、坂下に清水坂の石柱をたてた。
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