実盛坂
実盛坂

この坂下の南側に、実盛塚、首洗いの井戸や産湯の井戸があったという伝説めいた話が 「江戸砂子」や「改撰江戸志」にのっている。この実盛のいわれから坂の名がついた。

実盛とは、斎藤別当実盛のことで、平家方に味方をして、木曽義仲と加賀の国篠原の合戦で、 勇ましく戦い手塚太郎光盛に討たれた。出陣に際して、敵に首をとられても見苦しくないようにと、 白髪を黒く染めていたという。「平家物語」や「源平盛衰記」に詳しい。 「江戸志」には、「湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり。 むかし、斎藤別当実盛の居住の地なり」と。実盛は越後生まれだが、ここに移ったらしい。 (一説には熊谷とも) 従って、産湯の井戸、首洗いの井戸や墓があったとは誤りであろう。


   ・次のページへ(清水坂)
   
   ・前のページへ(孔子銅像)
   
   湯島界隈のトップへ戻る