奈良の大仏と表面処理


奈良の大仏と表面処理


金メッキされた大仏

 奈良・東大寺の大仏(廬舎那仏)は752年(天平勝宝4年)に造立されたもので、奈良朝の鋳金工芸の粋を集めて造られたわが国最大の鋳仏であり、世界でもその類例をみない。そして現代の工業技術に対する多くの啓示が秘められている。

 大仏像は多湿な風土をもつわが国で,戦火に2度も見舞われながら、いまだに腐食現象が起きていない。これは建立当時のすぐれた先人の技術“焼付け金メッキ”が行なわれたからだといわれ、また国家的、宗教的に保護されたからでもあろう。

 大仏を造ったのは、百済(くだら)からの亡命者国骨富の孫である国中真麻呂を大仏師とし、大鋳師高市真国、高市真麻呂の家来の知識人(技術者)など、延べ42万3,000余人、役夫(雑役)218万人を使って、大仏本体の鋳造に3年、らぼつの鋳造と組立てに2年、仕上げと塗金に6年、計11年の歳月を費してやっと完成している。

 高さ16m余、幅約12m、重さ112.5tという巨大な仏像で蓮華座に坐っている構図である。


文献からみたメッキ法

 大仏の鋳造は次図のように、下から順々と仏体の周囲に築いた土手の上に設置した溶解炉から、溶銅を流し込んで行くので、頭部まで鋳造の終った大仏は、その周囲を土山で囲われていた。この山を次第に取除いて仏体をしらべると、あちこちにキ裂を生じていたり、巣や溶金の流れ込まなかった部分などもあったであろう。

 延暦僧録に「銅2万3,718斤11両(当時の1斥は180匁で675g)、自勝宝2年正月まで7歳正月、奉鋳加所用地」とあるように、この鋳かけ補修に5年近くの歳月と約16tの銅をついやした。

 次に鋳凌いといって、鋳放しの表面を平滑にするため、ヤスリやタガネを用いて凹凸、とくに鋳型の境界からはみ出した地金(鋳張り)を削り落し、彫刻すべき所にはノミやタガネで彫刻し、さらにト石でみがき上げている。台座の蓮弁に残された有名な「蓮華蔵世界」の彫刻も、この時作られたものである。

 鋳放しの表面をト石でみがき上げてから、この表面に塗金が行なわれたが、大仏殿碑文に「以天平勝宝4年歳次壬辰3月14日始奉塗金」とあるように、鋳かけ、鋳さらいなどの処理と併行して天平勝宝4年(752)3月から塗金が行なわれた。

 これに用いた材料について延暦僧録には、「塗練金4,187両1分4銖,為滅金2万5,134両2分銖、右具奉「塗御体如件」とあるが、これは金4,187両を水銀に溶かし、 アマルガムとしたもの2万5,224両を仏体に塗ったと回読している。

 すなわち,金と水銀を1:5の比率で混合してアマルガムとし、これを塗って加熱し、塗金を完了するのに5年の歳月を要している。

 これは第1に、鋳放し表面を塗金できるまで平滑にすること、第2に塗金後の加熱を十分慎重に行なわなければ、加熱時に発生する水銀の蒸気は非常に有毒なので、すでに751年、大仏殿の建造も終っている状況では、殿内は水銀蒸気が充満し、作業者にとって非常に危険な状態だったのであろう。

 大仏の鋳造は749年に完成し、その後に金メッキが行なわれ752年、孝謙天皇の天平勝宝4年に大仏開眼供養会が行なわれた。大仏の金メッキは、この開眼供養の後になされたが、アマルガムによる金メッキが行なわれはじめたときから、塗金の仕事をする人々にフシギな病気がはやりだした。この不思議な病気の原因は、まさに水銀中毒であった。

 蒸発する水銀をすうことが中毒であると真相をつきとめた大仏師国中公麻呂は、東大寺の良弁僧上とともに今日の毒ガスマスクを工夫して、病気の発生を予防したとのことである。科学技術の進歩は公害が付きもので、これを克服していかなければ人類の進歩はない。すでに8世紀における大仏建造で、水銀アマルガム鍍金の公害が発生したが、人類の恵知はこれを克服している。


科学のメスで解明

 近畿大学理工学部の石野亨氏らは,昭和43年ごろ大仏塗金処理に関する実験を行なっている。その条件として、


   1.金は純度の高い市販の金パクを用いた。

   2.塗る試片は、普通銅板と奈良大仏から切出した成分分析資料の残片を用いた。

   3.試片の表面は、ペーパーで研摩し、その上に青梅の酢(おろし金ですって、こしたもの)でよくぬぐった。


 この実験結果は次のとおり、


1.金と水銀の配合について

 金と水銀の比率を2:1程度とするのが適当であるとする説(たとえば、延喜式巻十七内匠寮の所に様々の調度品を塗る料として減金2、水銀1の割合にするように 記されている)があるので、金と水銀の比率を種々変化させてみたが、


   1.アマルガムは金2・水銀1では、かたくて塗れない。

   2.金1・水銀3のものが使いやすい。

   3.金1・水銀5では軟らか過ぎて使いにくいが、きれいに塗れる。


 などが知られた。


2.塗金処理法について

   1.試片の上にアマルガムを鉄ベラで塗りつけ、かたい布でこすると、一面に白くつく。

     この際、余分のアマルガムをぬぐい去らないと、あとで塗金のむらができる。

   2.アマルガムを塗った試片を、350℃程度で1時間ほど焼くと黄色になる。

     これをバフなどで研摩するとツヤがでる。この操作を2・3回繰り返すと、かなりよい塗金面が得られる。

   3.みがいた試片に水銀を塗りつけ、表面に銅のアマルガムを形成させて置き、

     その上に、金アマルガムを塗ってもよい。またその時、アマルガムでなく金パクを押しつけると、

     ただちに表面に金のアマルガムを作って、よく着く。こうして350℃くらいで焼くと、きれいな塗金を得る。

   4.梅酢のかわりに、薄い硝酸を使うと、仕事は容易で、仕上りがよい。また、水銀を硝酸に溶かし、

     硝酸水銀として塗金面に塗り、その上に、金アマルガムを塗ると一番よく着く。

   5.試片は鋼板でも、青銅鋳物(大仏分析資料の残片)でも差は見られなからた。

  

 さて、このように実験を重ねると、先の文献に見られた使用材料の重量から割出した金1,水銀5の配合で、十分に使用しうることが知られた。

 次に、大仏を鋳造したままでは、その表面は凹凸がはなはだしく、さらに、巣、鋳張りなどもあって、このままではとうてい塗金しえないことも知られ、これを平滑にするための研摩作業は想像も出来ないほど大変なことと思われる。「天平勝宝4年3月塗金作業に着手し、天平宝治元年4月まで5年の歳月を費している」。いかに、塗金が大仕事であったかがうかがい知られる。


2.塗金処理法について

 朝比奈貞一氏がアイソトープを用いて、東大寺大仏の塗金残存部の厚サを測り、厚い所で1.31mg/cm2(1mg/cm2は純金として約0.5ミクロン)という値を得ているが、先のアマルガムの実験で得られた試片の塗金厚サは3.7〜9.2mg/cm2(約1.9〜4.8ミクロン)であった。長年月の間に塗金層が次第に薄くなったと考えられるので、いま、完成当時の大仏の塗金厚サを 9.2mg/cm2とすると,大仏の表面積527m2(東大寺要録の記録より換算)として、金の総量は48.4kgである。先に示したごとく、文献によれば塗金に使用した金(練金)4,187両とあり、これもm.k.S.単位に換算すると58.5kgとなり、大体必要金量に近い値を示している。


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