錬金術との関係


錬金術との関係

 錬金術は一般的に“稀少で高価な金を増量させるため、金に似せて合金あるいは表面処理する”の意にもちいられている。これに対して“アルキメデスの原理”で、水量により物質の比重が発見されたことは有名である。

 ところで、古代の黄金は、稀少なるがゆえに権力者たちの少数者たちに握られていた。これが当時の化学技術である「錬金術」によって、黄金に対する純粋性が失われたとはいえ、増量によって黄金の所有が大衆化されたという見方もできよう。

 この錬金術の一つの技術として、水銀アマルガム法による金メッキも登場してくる。

 B.C.100年のころ   中国の漢の武帝の時代に、准南王(わいなんおう)に留安(りゅうあん)という人がいた。この留安は魔術(仙術)を好み,いわゆる錬金術を行なっていた。

 泥のようなものを煮て金(きん)にかえ、鉛から銀をつくることをしたという。

 水銀と金とのアマルガムを加熱して,水銀を揮発させて金を残し、鉛に銀をとかし合して後に再び熱して酸化鉛の灰と銀とを吹き分ける“灰吹き法”による銀の製錬を したわけであろう。


西洋では3世紀ごろ

 3世紀、貴金属である銅や鉛などを金・銀のような貴金属に変成する方法と金属着色術を70種類も示した書物が、1828年にエジプトのテーベで発見された。 この書物は「ライデン=パピルス」と「ストックホルム=パピルス」といわれた3世紀ごろの金属化学古書である。

 この本の中に“金1と鉛2とを粉末にして、ゴム質のものでねり合わして固めて、銅の指環のごときものにかぶせて加熱すると,銅が金にかわる”と書かれている。 これは鉛が金ととけやすい合金をつくって,銅表面に付着してから、鉛が酸化をし浮きあがってメッキができる。

 これは溶融した鉛が金・銀をとかし、さらに空気中で高熱すると、鉛が白色の灰状の酸化鉛となってふきとび、あとに金・銀のかたまりを残す灰吹き法となり、さらに水銀アマルガムによるメッキ法への進歩とつながる。

 同じころ中国における錬金術は、六朝時代に道教の先達であった葛洪は、錬金術の著者として有名。「抱朴子」の本は内編20巻、外編50巻というぼう大なもので、その中に五色の丹薬としての種々なる鉱物や、それらの薬品をつかって金属をつくり、また着色をしたり、メッキをすることなどが書いてある。

 山本博士の説によると、「金液によって鉛表面を白色の銀にすること、鉄に硫酸銅(胆礬)水溶液をぬって表面に赤色の銅を置換祈出させるなど、外側だけをかえて中昧のかわらぬことを詐(さ)といっている」と、すなわち卑金属表面に他の貴金属を借りてかぶせることから、“メッキ”には錯という文字を使うこともあった。

 ともあれメッキ技術は3世紀ごろ、すでに有識者の間では理解されて、かなり大衆化してきたものと思われる。


  

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