メッキの発祥地をさぐる


まずスズメッキが出現

 B.C.1500年 スズはすでにメソポタミヤ北部のアッシリアで、金属の姿としてつくられていた。スズが火によってとけやすいことから、鉄面にぬって白く美しくし、さらにそれによってサビが防げることは,すぐ気がつくわけである。F・フェルフェルとA.ズュツセンゲート両氏の「化学技術史」に、鉄面にスズをうすくかぶせて防錆することは、B.C.1500年ごろに行なわれていたと書かれてある。

 防錆の歴史の中のスズメッキは、このころからであるが、それが工業的にやられるようになったのは、約3000年後の17世紀のこととなる。


騎馬民族 各国に伝波

 B.C.1100〜900年 中央アジアにおいて騎馬の風習のはじまったのは、B.C.1000年ごろからであると推定されている。遊牧騎馬民族といわれるものがあらわれたのはB.C.700年ごろのスキタイ人にはじまる。

 スキタイ人はB.C.600年ごろ、中央アジアの黒海・南ロシア・北コーカサスの草原地帯の中心に、部族同盟である王国をつくりあげて、黒海北部のギリシャ植民都市と交易し、 ギリシャから金銀器・青銅器・オリープ油などを輸入し、そのかわりとして南ロシアの森林地帯アルタイ山脈から産出する黄金(きん)を輸出していた。

 モンゴル(蒙古)語では、金(きん)をアルタンという。アルタイ山脈は金の産出するところから名づけられたものである。

 アルタイでは、金と銀との合金でエレクトラムといわれる琥珀(こはく)色のものがでている。エレクトラム合金は、純金よりも硬く加工しやすいので、これによってスキタイでは動物文様の浮彫をした製品をつくっている。


スキタイ文明

 スキタイ(前700〜前250年ごろ)は、南ロシア、コーカサス、小アジアの支配者となった騎馬民族で、動物意匠の美術工芸品が有名である。この工芸品の中にかなり金メッキで加工されたものが出土しているのが注目されよう。もちろん当時は、青銅表面につけられた水銀アマルガムの金メッキである。

 同民族は前5〜6世紀ごろ王国を建設したが、その大古墳からはギリシャ製の金銀器、とくに装身具、飲食器のばく大な量が出土しでおり、この中の金属彫刻品には有名な動物意匠の構図が示されている。殊に黄金製品の問に湯って鋼表面に金メッキした工芸品のあるのが注目されよう。

 この背景には南ロシア、コーカサス方面に本拠を持ち、ユーラシア大陸一帯を騎馬により移動しながら交易し銅、金などの入手に恵まれていたことにもよるが、同地区の原料資源の産出にも影響があったと推想される。

 すなわち水銀は現在のモンゴル人民共和国と中国、あるいは旧ソ連の3国境に近いサイリコゲム山脈付近と、さらに中国の新彊省タリム盆地(タクラマカン砂漠)に近いキリレギス共和国付近などから産出される。


  

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