先史時代のめっき技術

メッキとは

 人類の文化発展に一大進歩をもたらしたのは金属製の道具であろう。 土器や石器を使った道具では、材料や性能には限度があったが、金属は自由に鋳造することができ、しかも石以上の硬度ができるため、今日の文明をもたらしたといっても過言ではない。

 この金属のうち95%以上は鉄が使用されている。 鉄は元来、酸化鉄のまま自然界にあったものを、人間が酸化物を除いて鉄分だけを利用したもので、このため鉄を素地のままにして置くと、酸化作用によって赤サビが発生して、ふたたび自然界に帰ってしまう。

 殊にサビは酸化鉄になって製品の機能を表面から内部へ深く入り、鉄の組織をポロポロにし破壊してしまう。これは何も鉄だけでなく他の銅、真ちゅう、アルミニウム金属なども同様である。それを防ぐために、鉄の表面と大気を遮断する塗装、メッキ技術などによって、今日では金属のサピを防ぎ、さらに表面を美しくして商品価値を高めている。

 一般には外来語と信じられている「メッキ」という呼び名は、実ぱ“滅金”という純粋な日本語である。 太古のメッキ技術は主として金や銀を水銀に入れて溶融、その溶液中に被加工物を入れるか、または溶液を被加工物に塗り、たいまつであぶり被加工物の表面に金や銀を析出するという方法で行なっていた。 このため水銀中で金銀が溶解して原型をとどめなくなるところから「金が滅する」つまり“滅金”と呼ばれた。

 後世になって「鍍金」という字をつかうようになり、さらに漢字制限で「鍍」が使えなくなって、カナ文字の“メッキ”が幅をきかすようになった。

 この太古の技術が、ほとんどそのままの形で受継がれて、現在でも“どぶづけメッキ法”(別名テンプラメッキ)として残っている。

 メッキ方法は種々あるが、最も代表的なのが電気メッキで、これは水を電気分解すると水素と酸素に分れるが、これを応用してニッケル、銅、クロム、亜鉛、あるいは貴金属などを含んだ各種のメッキ溶液に鉄素材などの品物(被メッキ物)を漬け、電気を流して鉄の表面に異種な金属を付着させてメッキする。その他のメッキ法としては、電流を使わないプラスチックス上への化学メッキ、または無電解メッキ、熱を加えて溶解させた防食性の亜鉛、鉛アルミ金属などの中へ漬ける溶融メッキ(ドブ漬け)、また真空にした容器中でメッキする真空メッキ法などがある。

 品物にメッキすることによって金属製品の寿命が著しく伸び、かつ商品を美麗にして価値を高めているわけである。

 このように電気メッキが発見される以前から、水銀アマルガム法による化学メッキが存在していた。


  

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